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6、差別。

しかし、このような錯覚に過ぎない偏見が、この社会の大多数の人間によって支持され常識となり、そしてこれが社会的に固定したのが「差別」なのである。しかし誰もが、大多数の人間がこれを信じ、またこれを信じることによって社会と経済が営まれている以上、これは社会の制度でありシステムなのである。

そして大多数の人間がこれに利害の関係を持ち、そう思い信じることが自分たちの利益であり、自分たちの暮らしと生き方、考え方の前提になっている以上、これはやはり、これこそが正真正銘の「差別」なのである。そしてまたこれが自分たちにとっての正義であり、真実なのである。

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2020-0225-0306