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人間にとっての感覚としての、見る聞く触れるといったことが、感覚器官による感覚だけの世界であるとするならば、このような感覚自体に何の意味もない。なぜなら、感覚器官による感覚自体は「閉じた世界」だからである。 もっとはっきり言うと、感覚自体は物理的・化学的反応に過ぎないからである。このような物理・化学的反応に、人間の意識が入る余地がないからである。 しかし、このような感覚の感じ方といったものが、痛い、つらい、苦しい、キモイ、キツイ、あるいは楽しい、嬉しい、気持ちイイなどと感じられてくるというのは、当初の物理・化学的反応といったものが、身体内部の生理や情緒と結びついて生み出され、そしてそれが自分で意識されているからである。 |