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これは、外から現実を見ている人間である。自分は現実を生きているにもかかわらず、頭の中では、この現実を離れた世界を生きている。そうしたタイプの人間である。 だからまた、現実を抽象化し得るし、何かしらの意味不明の不可解で訳の分からない、どこかへと自分をいざない導くところの、サインの塊りとして風景が感じられてくるのである。そしてこれがまた、人間にとっての風景が持つ意味なのである。 だからまた、初めて見る風景に遭遇して、それがどうしても、かつて自分が来たことのある場所のように思えて来たりするのである。 それは、その風景自体が持つ印象の世界といったものが、自分の観念の世界の中で象徴化されていて、この象徴化された印象の記憶だけを持って、それがかつて来たことがある場所のように思えてくるのである。そしてそれを混同し、錯覚し、誤解しているのである。 |