「古代ローマの自意識」
〜2、自由。
この「人格の強制」とは、他民族を統治するローマ帝国の統治の必要性から来ている。このような自己の内面を無視する「ローマ法」による統一は、帝国内の数々雑多な民族や個人の内面にわずらわされることがあってはならないのである。それは個人の内面とは別のものなのである。 そうして初めて多民族の法に基づく統合、全体としての一体性が可能になるのである。しかし、それは他人の外面をどうこうするだけの強制であって、だからまた、個人というのが、外面と内面に分裂される。ここに言う外面とは、法に基づく抽象的原理であって、そして内面とは、破壊されたキズナと共同意識の、無視され、疎外された、主観的自由である。ただし、この場合の自由とは、選択の自由ではなく、追放され、無視された、どこへも行くアテのない自由、選択そのものがない自由である。 |