「古代ギリシャ精神」


〜3、偶然の自由。


古代ギリシャの自由は、あるがままの、自然な、意識されることのない自由である。人間が、意識も自覚もされないところで、それを意図して目的とすることもなく、まさにそのような状態として偶然にもたらされ、現れ生み出されたのである。

たしかに当事者から見ると、それは偶然であるが、自然環境の客観的条件や民族と人間の暮らしの成り立ちからすると、それはそうなるしかない、「必然」としか言いようがないものなのである。

このような自然条件、民族の歴史的・文化的あり様といったものは、まさにそれ(=自由)が生み出される、制約された特殊な条件であり、歴史的にも地域的にも限定された、特殊な世界だったのである。

自由というのが意識も自覚もされない世界、外から見るとたしかに自由そのものであるが、中から見ると、それは自由などではなく、当人の意思とはかかわりのない、習慣や常識をこなしているだけなのである。本人の自由な意思とか決断とか選択というのでなく、みんながそうしており、自分もまたそうするしかないから、そうしているだけなのである。そうである限り、真の自由とは言えないのである。

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