「異人種」
〜5、マボロシ。
だからまた、自分が生きている理由が見つからず、自分が誰かわからなくなって、自分が見つけられず、自分のことがまるで空気や霧やマボロシのように思えてくるのである。はんば透けて影の薄い、もうろうとしていて、輪郭があちこちで途切れたマボロシのように自分が思えてくるのである。 これでは、やはり、オバケなのだ。自殺の願望と指向がどこかで自分自身とつながっているように思えてくる。もちろん、自殺願望はだれにも時折、瞬間的に見舞うことがあり得るのであって、特に変わったことではないのかも知れないが。 やはり、自分というのが現実に存在しないオバケならば、非現実の世界が自分本来の居るべき所、居場所なのである。非現実とは、現実を否定した現実でないところ、つまり、あっちの世界なのである。現実に生きている自分のウソを正直に完全に消去・抹殺した世界なのである。本来の自分に忠実で正直な世界なのである。 もしかすると、いまは無きボクたちの祖先は、ボクたちの中で生きているのかも知れない。そして、それが実際に見えてもいると思えて来る。ボクの目の中で。これは空想と観念の世界ではない。かといって現実の世界でもない。 ボクの目の中の、生きた生理作用や情緒のリズムとして感じられ、そしてそれを見ているのである。「感じ」られてもくるのである。補色や残像、あるいは記憶の断片、思い込みや偏見の痕跡として。自分自身の情緒や生き方、感じ方の中にそれが伝わってくるのである。自分ではどうにも制御できない、肉体の感じ方やリズムとして自分にせまってきて、支配しているのである。あるいは、自分自身の肉体のカタチや構造、そしてその機能や仕組みそのものが、はじめからそのように出来ているのである。はじめから、そのようなものとしてこの世に生まれているのである。 |