「夢の世界」
〜4、精神のカタチ。
夢の中で見た、自己と他者のアイマイな区別のない世界、ケジメのない世界というのは、現実の世界でも見ることが出来る。自分というのが、社会の共有意識や共同感情を反映していて、そしてそれが時代によって拘束されているからである。制約され、条件づけられて、方向づけられている。何か言い知れぬ必然的な自己の原理によって定められ動いているのである。 こうした関係性の中においてのみ、人間は自分というのを明確に自覚できるし、そしてそれは同時に、その社会が持つ特殊な傾向、個性といったものなのである。つまり、無意識の情感、心の動きやその移り変わりの特有のあり方、「型式」とでもいったものなのである。 暮らしや生き方、そして歴史のうちに共通して感じられ、見て取ることのできる、その社会特有の共通するリズムとでもいったものである。様々に変化し移ってゆく歴史や社会のなかで、それでも、一貫して見てとることのできる、共通の特徴、印象といったものである。 言いかえると、その社会を特徴づけ規制し続けている固有の個性とか性質であって、そしてそれらを決定づけている内的な必然性や特有のリズム、自律性とでもいったものである。 それは、この社会の個性とか情緒の特性といったもので、その社会を生きるすべての人間を支配する絶対的な強制力、枠(ワク)、限界線、そしてその社会と他の社会を区別し識別する境界線なのである。そして、それがまた、民族の精神のすがたであり、その輪郭、シルエット、カタチ(形)といったものなのである。 |