「感じ方」
~2、規定。
なにかを「見る」というのは人間の必要から見ているのであって、そうした現実との限られた一側面、一視点でしか現実は見えて来ないのである。しかしまた、人間にとってはそれで十分であり、そしてまた、それ以上のものは見えることがないのである。 人間が目の中で見ている現実と、外にある現実とはもともと全く別の世界なのであって、人間はただ感覚器官を通して自分にとってかかわりのある、あるいは必要なもの、興味があるものだけを感じることができるし、見えてもくるし、そしてまた、それしか感じることも見ることも出来ないのである。こうしたことが感覚器官の役割であり機能なのであり、また、そうしたことが進化の結果なのである。 言い換えると、この時点で人間はすでに条件づけられ、方向づけられ、そしてまた、規制されているのである。言うなれば、気づくより前に人間は定められたレールの上を歩いている。歩かざるを得ず、そしてまた、他の道を歩けるようには出来ていないのである。 それが人間の機能であり、人間存在の役割であり、現実という世界の中で人間に与えられた生きて行く方向性、開かれた道となっているのである。サダメとか宿命などとも言っている。人間のすがたカタチ、そしてその仕組みそのものがすでに、生きて行く、ないし生きてゆく方法そのものを制約し規定しているのである。 |