「感じ方」

〜3、カタチ。


ただ、「見ている」といっても、そこには様々な意味があって、触覚や味覚などの他の感覚についても、それは言えるのである。しかしまた人間は、それ以前のところで、あらかじめ与えられ定められているのである。人間の肉体がそうである。あるいはまた、人間が生きている地球がそうなのである。

それは人間以前のところから始まっていて、人間というものの条件と前提になっているのである。背景であり、それを包み成り立たせている現実の環境であり、あるいはまた言い換えれば、地球というフラスコ(試験管)の中の世界なのである。

人間のカタチとその境界面、そのサイズと重さ、感覚の種類と範囲・機能、そしてその深度、それらは人間以前のところで引き継がれ、機能し、形成されてきたものである。二足歩行、頭脳のサイズ、集団生活、親子関係などもそうである。それらを基にして人間の生活、人間らしさというのが出来上がって来たのである。

そうした意味で、またその時点で、人間は条件づけられ制約され方向づけられて来たといえる。そしてまた、そうしたことがまた、人間の目や耳や手といった筋肉や骨、それに感覚器官の特徴と性質の、進化の方向性を示しているのである。それがまた、人間にとっての潜在的な可能性であるとともに限界なのである。

それらはすでに決められていて、定められ、形づくられ、そしてまた、その時点ですでに方向づけられているのである。それは、それが現実に生きているカタチの必然的な志向性なのである。

もどる。             つづく。