「異人種」

〜15、情緒。


そしてこの感覚の「感じ方」といったものが情緒となるのは、それが移ろい変化しつつも持続するからであり、閉じた自己の内的世界の中でずっと維持され続けるからである。そして、こうしたことが自己の内部で独自のリズムやイントネーションとなって、繰り返されてゆくのである。広がり、さ迷い、ただよい続けるのである。

それは例えば、言語でいうところの方言のようなものである。それ固有の独自の自律したリズムが存在するのである。発声や呼吸する息の高低長短、息や筋肉の集中と分散、さらにその起伏のリズムの特徴といったものがそれである。ただし、これは言語であるために発声でもって表現されるが、ここで言う「情緒」という場合、それは言語になる前の発声以前の世界なのである。 

それは個体の内的な自律性なのであって、本来、相手があってそれに何かを伝えるための言語なのであるが、それ以前の世界なのである。要はそうした相手とつながる前の世界、自己の内面の世界である。なおかつ、明確に意識しようのない、無意識の感覚の世界だということである。

そうした感覚だけのリズムやイントネーションが繋(つな)がり、連(つら)なり、広がっていって、そうして固有の自律した「感性」といったものを生み出しているのである。

それは、意識の届かない世界であるとともに、意識の不要な、意識とは無関係の世界である。このような感覚の「感じ方」といたもの、固有で自律した、閉じた内的な無意識の世界、これが「情緒」なのである。

もどる。             つづく。