「異人種」

〜16、肉体。


それにしてもやはり、そうした民族の、あるいは人間集団の特徴としての感情や感覚、気質や気性といったもの、あるいは考え方のパターンや、ゆれ動き変化しつつ移ろいゆく心の動きといったものの、あり方といったものも、やはりそれ特有の自然環境としての現実の、地上の世界で生じてきてカタチ作られて来たものなのであって、そうした現実の自然環境の上でのみ成り立ち得た特有の現象あり、そこから規定されてきた、それ固有の現実のすがたといったものなのである。

従ってまたそれを規定するものとしての、それらすべての現象の根源にあるものとして風土の現象にたどりつかざるを得ないのである。民族ないし人間というのがその下で生き、そしてその生き方や暮らし、考え方といったものがカタチとなって現実の世界ですがたを現しはじめたとき、それが信仰や家父長制として現実の世界に表現されたのである。

そしてその根底にあるのが、やはり風土であると思えて来てならないのである。そうした考え方や感情、そして暮らしの根源にあるものとして風土にたどり着かざるを得ないのである。心と肉体の働きのカタチといったものを決定づけている、もっとも根源的な出発点となっているのが、その民族が生まれ形成されて来た現実の世界、すなわち「風土」であると言わざるを得ないのである。風土とは、人間がそこに生きる歴史と自然条件、そして文化のことである。しかしまた、より直接的には自分の肉体そのものが、自分にとっては自然条件そのものだったのである。肉体も自分にとっては他者でしかなかったのである。

それは、人間がその下で生きて来た、あるいはその中から生まれ出て来た生地であり、下地であり、背景であり、母胎であり、そしてその「舞台」なのである。それはその中でしか生成され得なかったものなのである。それは本来同じものであり、それは、その中から浮かび上がり押し出されて来たものなのである。あるいは、規定されてきたものなのである。自分が自分にめざめ、みずからを反射し、そしてそれを他者として生み出したのである。

もどる。             つづく。