「さまようタマシイ」
〜8、結果。
そうやって、自分自身を自分が確かめているのである。自分がはたして誰で、なぜここにいて生きているのか、そのワケを、その必然的な自律性といったものをたずねているのである。自分で自分の肉体に訪ねているのである。肉体とは、祖先から引き継がれてきた自分のカタチだからである。意識が自分のカタチに問いかけているのである。 そして、この肉体のカタチを通してのみ、自分というのが現実へと出て行くことが出来るのである。そしてそれこそが自分というものの現実のすがたなのである。それはいくら見ても、わかるというものではないし、また思考でもって理解できるというものでもないのである。 自分の感覚、自分自身の肉体の感じ方や感性でもって直接確かめるしかないものなのである。自分でも他者でもなく、それ以前のところにある自分自身の肉体の感覚でもって確かめるしかないものなのである。感覚とは、祖先が生きて来た歴史そのものであり、そしてまた、その結果なのである。そして、それはある意味で、自分にとっての他者なのである。 |