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〜5、感覚を見ている。
自分が何かを感じていること自体に、実体などない。
それは意識の感じ方なのであって、
例えば、見る・聞く・触れるといったことは、
自分本人の意識にとっては、神経の電気信号や、
論理記号の連続した羅列に過ぎないのである。
だから実際に現実にある物と、
それを見ている感覚とは、本来、
まったく別のものなのである。
別の次元、別の世界である。
それは実際にあるものと、
その見え方や感じ方との違いなのである。
なにかを「見ている」というのは、
自分にとっての、その「見え方」を見ている。
自分の感覚や、自分の存在の仕方を見ているのである。
だから、無いものが見えて来たり、
見えるはずのものが、見えなかったりするのである。
戻る。 続く。
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