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〜6、直感。
それは物理的で、光学的な映像である。
そしてそれを見ているのは、生物の感覚器官と
その生理作用を通して見ているのであって、
さらに、空気の中を、空気を仲介して現実をみている。
その時の空気の状態と性質によって、
空気のなかで、ものが歪んで見えたりもするのである。
空気の中から、空気を透かして、
ゆらぎ、きしみ、裂けて、広がり、中から何かが見える。
光の回り込み(回折)、屈折、偏光、透過。
さらに、陽炎(カゲロウ)、蜃気楼・・・、などである。
そしてまた、自分自身の目のなかでも、
それと似たようなことが生じている。
自分自身の網膜に投影された映像を、
自分の体内の生理作用を通して見ている。
だから残像とた補色、まぶしさ暗さによる色の白飛び、
光源のフレアなどが、実際に現実にないものが、
あるもののように、見えてくるのである。
自分の生理作用の混乱を、
現実に見えていると錯覚するのである。
とは言っても、惑(まど)わされてはならない。
これは現実に、自分の目の中で見えているのである。
それは錯視といえども、自分の生理作用そのものなのであって、
それは、自分自身の生理作用の記憶を見ているのである。
それは、潜在的で無意識な世界であって、
自分が生まれる前から先天的に、
祖先から引き継いだものなのである。
それは、自分自身の本能的な直感を見ているのである。
それは、自分たちが生きてきた祖先の記憶を、
自分自身の肉体の生理作用の中に見ているのである。
戻る。 続く。
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