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〜8、肉体の中と外。
しかし実際に、ものが現実にあるから見えてくる、
というのも事実であって、
そしてこの見えるものというのが、光の明暗や、
色合いの違いとして見えてくるのである。
これが人間にとっての、見えるもののすがた、カタチなのである。
人間の感覚にとっては、「もの」というのが、
そのようなものとして、感じられ、意識されるのである。
だがそれは、単独でやって来るのではない。
ニオイや、肌に触れる気配や、空気の微妙な変化や、
そして光とともにやって来る。
自分の身体(カラダ)全体だけでなく、
自分自身の記憶に照らし合わせても見ている。
人間の感覚器官に何かが感じられるということは、
人間の肉体の外で何かが起こっているからであって、
そうしたことがなければ、何も感じられない。
それは、意識の中の空想の産物ではなくて、
自分の肉体が、外の変化を直接に感じとっているのである。
とすれば、それは現実の物理的変化しかあり得ない。
実際の物の変化、そのカタチ、その質の、
実際の現実の変化によって、肉体の感覚はそれを
感じるのである。実際に、自分の肉体の外で
何かが変化していて、それが感じられるということなのである。
それは観念の世界ではなくて、
現実の肉体の感覚なのである。だからそれは、
やはり、物理的な「もの」としてのみ感じられる。もちろん、
感覚自体の不具合や障害なども排除できないが・・・。
戻る。 続く。
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