< 続:指向性


〜13、「移行」


もう一度、念押しする。
人間は、時間の流れの中を生きていて、
人間も世界も移り行く時間の流れの中の、
一場面に過ぎず、そして、その場面場面ごとを
つなぎ合わせて、時間の流れのなかで見てみると、
なにかしら「指向性」があって、方向を持つものとして
見えてくる。

この「指向性」という視点からすると、
暗さから明るさへの移行という、
冬から春への季節の移り変わりは、
人間の感じ方として見れば、
明るさや、鮮やかさといったものを、
より強く求め、のぞむものであると共に、
人間自身にとっても、それを強烈に印象するものである。
そして、記憶のなかでも、そのように思えて来る。例えば、
同じ気温でも、夏より春の方が暖かく感じられるのである。
それは今、寒さの中にあって、暖かさというのを
いっそう強く求めているからである。

そして、方向性や「指向性」といったものは、
システムそのものの、歴史的で論理的な型式であって、
合理性のカタチなのであって、ちょうど、システムが、
空間的に物理的に存在するのと同じことである。
それは、歴史と時間の流れの中に存在している。

システムや、その仕組み、あるいは必然性といったもの、
あるいはその原理といったものは、
すべて論理的な型式を持つものであるが、
それは空間的・物理的にもそうだし、
時間的・歴史的な変化、移り行きを通しても、
変化の様式として表現される。

むしろ、このような時間的な変化こそが、
――カタチの変化のない時間というは存在しない。
変化こそが時間の概念だからである。――、
カタチのなかの内面にある、必然性と原理を、
見えるものとして、理解し知ることが出来るものとして、
表現しているのである。


戻る。               続く。