< 「コトバ」
〜3、主観。
といっても、このはじめのコトバといったものは、 現在の誰もが普通にしゃべっているコトバとは、 その意味合いといったものがかなり異なっていたと思う。 ひとことで言うと、少し現実から離れた、具体性を欠いた、 観念的ないし心情的・情緒的な意味合いが非常に 強いものだったと思えるのである。 例えば、現在では常識になっている、メートル(m)やグラム(g)などの 数値的な具体性が求められるような、そんな場面自体が なかっただろうからである。例えば、距離、面積、重さなどと 言っても、その基準自体がなくて、その都度変わる気分的な ものに過ぎなかっただろうからである。客観的なっものの見え方や、 考え方といったものが弱くて、ものの見かた、感じ方といったものが、 主観や思いつきや気まぐれ、そして心情や情緒に大きく左右された だろうと、思えるからである。むしろ心情や情緒を言い表したもの ではないだろうか。 どこでも通用するような客観的な考え方や感じ方がなくて、 というのも、人口が少なく、交通手段も限られ、そして、 自給自足の閉鎖した社会にあっては、自分たちの村以外の、 外の世界との交流がほとんど無かっただろうからである。 このような社会にあっては、どうしても場当たり的な思いつきや、 気まぐれ、主観が優先する。それしかないからである。 心情や情緒が優先する。なぜなら、考え、認識し、意識する といった、その対象そのものが非常に限られているし、 またそれを広げて考える必要もなかったからである。 |