< 「コトバ」


〜5、直感。


だから、始めに戻って言えば、そうした漠然としていて、
ぼんやりでアイマイでありながら、内面の心情の素直で
直感的な表現として、本能的な肉体内部の、直接の
衝動としてコトバがあったのではないだろうか。

このぼんやりした、観念的で本能的な衝動に、
具体性と現実性を与え、そして実際に、
どこの何かという特定性を持たせたのが、
中国から伝わって広がっていった「表意文字」では
ないだろうか。

文字は視覚的な記号として表現される。
実際の現地の雰囲気や空気は伝わって来ない。
現実の生身のコミュニケーションや出来事から切断されたところに、
文字が成立する。だからまた、それは特定されなければ
わかりにくいものであり、そしてまた、現実の情緒や心情から
切り離された世界なのである。だからまた、特定できるし、
特定されねばならず、感情や感覚から切り離された思考の、
論理的な展開とならざるを得ないのである。

個人の内面の印象や直感といったものが、そのまま肉体の
発声でもって表現されるのではなくて、だれにも共通の
特定できる記号、つまり、「表意文字」で表現したのである。
その現実の実際の場面とは離れた所でも伝わるようにした
のである。コミュニケーションというのが、現実の生身の肉体から
離れたのである。


戻る。             続く。