< 「コトバ」


〜6、肉体。


だから、現在使われているコトバは、無意識のうちに、
そうした「表意文字」の意味が混入されたものであって、
必ずしも日本語本来の意味を正確に伝えていない、
と思うのである。

もちろん、現在使われている日本語も、
日本語であるとしか言いようがないのであって、
それがまさに、日本語なのである。だから日本語が
不正確などとはけっして言えないのである。だから、
そうした意味ではなくて、日本語が本来持っていた、
根源的な意味合いといったものが、いつの間にか
失われてしまったのではないか、ということなのである。

直接的で直感的、情緒的で本能的な感じ方といった
ものをである。無意識の感覚の世界。考えるとか意識
する以前の精神の世界をである。
文字が入って来て、本来のコトバが持っていた
漠然(ばくぜん)としたイメージが破壊され、固定され、
確定されて行く。

コトバが多種多様に特殊化し固定される前の、包括的で、
いまだボンヤリしていて、個人の気まぐれや思い込み、
その時々の気分によって大きく左右されていた時代の、
そうした、コトバの感じ方といったものを、忘れてしまったのでは
ないだろうか。

自然と精神と肉体といったものが、いまだハッキリと区別されず、
一体となっていて、その中から発せられる情緒といったものを、
コトバが表現していたのである。呼吸する息の吐息や、
鼓動する心臓のリズムや、血液の流れの音、そうした肉体の
恐れや憧れ、圧迫や躍動がアンサンブルとなって、そうしたことが
肉体内部から発するコトバとして表現されたのである。


戻る。             続く。