「春カスミ」


〜3、永遠。



物体が落とす影といったものが限りなくうすくなり、方向性を失った光の中で、明暗の陰や暗さといったものが物体の方向とは無関係に、すべての物体の奥の狭い部分に暗い陰を生じさせている。光が、方向性といったものを喪失しているのである。だから、どこからでも、どの方向へも光が広がってゆくのである。そして減衰して行って奥の狭い部分に薄暗い陰を作り出すのである。

乱反射して広がることのない、物体の奥に入ったところ、深い淵の部分でもっとも暗くなり、それが外へ出るほどに、表面に近づくにつれて、明るく照らされるのである。だから、目に見える物体のすべてが、それぞれの一つ一つが、みな光源のように見えてくるのである。そしてその中にいると、自分もまた光を放つ光源のように思えてくるのである。これが光の中の世界という意味である。僕は世界の中心にいて、景色の中のすべての物体が僕を見つめている、そんな錯覚をしてしまうのである。

光は、外から自らの中に入って来るのではなくて、反対に、自らの内部から外へ向かって出ているのである。そう思えてくる、そうした倒錯した世界である。示標とか目標、目的、理由などといったものは、どこにもない。あるのはただ、自分だけの主観、思いつきと気まぐれだけなのである。

なぜなら、この世のすべてのものに、影を落とし、表裏を作り、方向性を与え、時間を定めていた、太陽の直射光というのが消えているからである。本来、自分の外にあるはずの絶対的基準、自分と他人、そして社会をつなぐ共通の基準というのが、消えているからである。そうしたなかにあって最後まで残るのが、自分の主観だけなのである。そしてこの主観が、まばゆい光の中で、永遠で普遍のものに思えてくるのである。


戻る。             続く。