「観念の世界」


〜2、主観。


実際には何も見えていないのだから、見ていないのである。にもかかわらず、それでも見えていると自分に感じられなければならないのである。そうでないと自分にとって都合が悪いのである。自分の記憶や感覚の感じ方に反するからである。

そういう感じ方しか知らないのである。それ以外は知ってはならないものとして育てられて来たのである。そうしたことが自分の観念の世界で学んできたことなのである。自分が生きて来た世界の経験や記憶として。そして自分が生きている社会のルールやマナー、常識としてそうなのである。つまり、これが観念的映像なのである。自分の中にある偏見と主観によって解釈され、再構成された世界なのである。

それは自分の生き方やライフスタイルにも直結したものであって、生存のための人間関係の前提となっているものなのである。だからこそまた、そうでなければならず、そうであるはずなのである。それに反することは、自分自身の存在自体を否定することなのである。だから見えているはずだし、そしてまた、そのように、信じ続けるしかないのである。そうでなければならないのである。


戻る。             続く。