「目の中の世界」


~10、闇の奥。


コトバだと、自分でもよくわからないことを伝えることが出来ないのである。音だけだと、内面的な心境は表現できるかも知れないが、出来事として、物語りとして現実の世界を表現できない。触覚も、やはり肌に直接触れるものを感じることは出来ても、その全体像は、やはり見えないのである。だから、イメージ(映像)がよいのである。

そうなって初めて、心の中の心境や、思いや、苦しみ、よろこびといったものが、ずっと後まで、自分の心のなかで生き続け、残り続けることが出来るのである。記憶として残り、思い出すことも出来るのである。ニオイや音では、それが形(カタチ)として残りにくいのである。

もしも、そうした心のなかの気になる出来事が、夢の中で映像として表現されないのであれば、それは気分的な、あるいは、ただたんに感覚的に気持ちよいとか、心地よいとかいうだけで、なんの現実性も、具体性もなく、すぐに記憶から消えて、あとは何も残らずに過ぎ去ってゆくだけである。そもそも何か残るようなカタチといったものがないのである。


戻る。              続く。