「目の中の世界」
〜9、底無し。
自分のことであり、自分で自分を生きようとしているのではあるが、それが何で、何のために、いったいどういうわけでそうなるのか、自分でもまったくわからない、ということなのである。そこんところがイライラしてくるし、底無しに自分がわからなくなるし、思い悩むのである。 そうした心境といったものが、夢の中で単純で短いシンプルな物語りとして現れる。どこからと言えば、心の奥底からである。それは何かを暗示していて、象徴している。心の中で蓄積されてきたものが、入り乱れて、掻き回され、その中でむりやり一つの つながりとして、夢というイメージの世界に出てきたのである。 それは必要なことで、というのは、必要だったからこそ夢に現れたのであるが、それは自分自身の心境とか、何かの心の動きを夢物語りとして表現しているのである。例えば別に、音でも、触覚でも、あるいは言葉や、その概念として、文字で表現されてもよかったのである。 何でもよかったのである。大事なことは、それが何かのカタチとして現れて出てくる必要があったのである。自分の記憶のなかで、ずっと後まで残り続け、保存もされ、記録できるものであれば、何でもよかったのである。しかし、だとすると、イメージ(映像)しかないのである。 |