「自分自身」


〜4、異質。


これは発見であって、世界に対する、そしてまた自分自身の精神に対する発見である。発想の転換などではなくて、発想そのものを発見している。人間には「発想」といったものがあったのだ、ということを発見している。それは自分自身といったものの発見であり、それを証明し、確認するものであって、そうやって自分自身の精神といったものが、それまでとは全く異質な世界へと、追い立てられる。

古い、それまでの精神の拠り所に安住できなくなってしまうのである。追放ないし解放されて、新たな拠り所を求めて出て行くのである。そうせざるを得ないのである。そうしてのみ、自分が自分たり得るのである。自分を失いたくなければ、でてゆくしかないのである。自分が自分でなくなる、それを避けるには、そうするしかないのである。

現実には同一の場所、同一の時間を生きているにもかかわらず、精神は、それとはまったく異質の、別の世界を生きている。そうするしかないのである。実際、そうなのであって、そうした自分を、外から見ている、もう一人の自分に気づくのである。精神は、自分で自分を見つめているのである。自分自身の精神の、必然性といったものが意識されたのである。

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