「めざめ」
〜3、動機。
自分の中にある感じ方、考え方だけでなく、目の前の見える世界というのが全く別の意味を持つものとして迫ってくる。ルネッサンスでいう自己の発見とはこのことなのである。自分と現実のかかわり方というのが根本的に変わってしまったのである。 現実の中にあった無意味で使いものにならなかったものが、かけがえもなく大切で貴重なものに変わってしまう、といったことが起こってしまうのである。自分の存在とその必要性がどこかで根本的に変わってしまっているのである。それまでとは別の異質なものになってしまっているのである。自分が自分でなくなって、それまでとは何か別のものになっている。自分が生きている動機や意味といったものが、それまでとは何か別のものを基にして成り立っている。 それは、人間のタイプの型式・種別というよりも、それ以前の存在の必然性や理由そのものが、何か根本的に違う動機で動いているのである。自意識内部の自律性といったもの、あるいは情緒といったものは同じものなのかも知れないが、それを動かし機能させている要素といったものが全く別のものを材料にして成り立っているのである。 だから、感覚や情緒の自律性とといったものが同一であっても、それが自己の内部で働き作用し機能する原理といったものが、別のもののようにに見えてくるのである。あるいは、それを動かしている理由や原理といったものまでが、それまでとは別のものにならざるを得ないのである。 |