「めざめ」
〜8、満たされない。
自然災害とかひどい困窮の状態におちいった時、人間は、もはやそこにとどまることは出来ないのであって、そのまま何もしないでいると、飢えて死を待つだけとなる。だからそこを出て行くしかないのである。もちろん、それとわかっていて留まる人もいれば、意を決して出ていって、より早く死に至ることもある。 それは先の見えない挑戦、やむを得ない、まことにそれ以外に仕方のない、本人の意思とはほとんど関係のない、外からの強制なのである。そうやって、運がよければ偶然が重なって、新しい地平(フロンティア)を、そして、新しい生活が始まることになる。 そうしたことは、生存のための食糧確保の必要から始まる場合もあれば、そうでないキッカケで起こる場合もけっこうある。古いユーラシア大陸からアメリカへと。わずらわしく、うっとうしいだけのヨーロッパから、宗教と信条の自由を求めて人々が移民したのがそうである。 自分の理由を他人に求めようとする限り、偽りの正義が必要なのであり、「目上の者」も「目下の者」もなくてはならない存在なのである。偉い人にすがり、悪い人を探して作り出してゆくのである。そうやって他人を壊してゆくことによって、自分を守り、居場所を確保し、システムのなかで、自分の居場所を作り出すのである。 中世の宗教裁判、現在の政治犯絶滅収容所がそれである。あるいは、20世紀前半くり返された世界大戦がそうである。しかし、そうしたホロコーストや民族浄化といったものが、たまらなくイヤな人々もいるのである。自分自身が、また個人というのが、それだけで自律した主体であろうとする人もいるのである。 もはや自分がそこにいることが出来ないというのは、飢えて死にそうだからではない。経済的にはむしろ恵まれている。そうではなくて、精神が満たされない、といったことから、そうする場合もあるのである。 |