「自意識」
〜2、島国。
大陸から見ると日本から得るものは無いし、疲れるし、こんな地の果てにくるだけでも大変なのである。それどころが、都の留守の間に政敵や異民族が政権を奪い取ることも、多々あったのである。大国であるがゆえに簡単に身動きできないのである。 19世紀に至るまで外国が日本を侵攻したのは一度だけである。「元寇の役」のみである。それも日本特有の台風によって壊滅してしまう。仮に上陸していたら、もっとひどい目にあっていただろう。軍事的にも社会文化的にもうまく納まることはなかったであろう。文化というのがあまりに違い過ぎるのである。かつ、大国と言えないまでも、強力な国力を持つ有数の国の一つなのである。事実、アメリカですら地上戦を避けて核に頼ったのである。 いずれにしても、この「日本という国は、ユーラシア大陸、または中国から見ると、わずらわしく、疎(うと)ましい、どうでもよい、出来れば関係したくない国でしかなかったのである。そして、それはそのままで、日本から大陸を見た場合にも言えるのである。やはり、大陸から日本を見ると異国でしかなかったのである。 日本から見た大陸もまた、異国であって、他者でしかなかったのである。ここに自意識がめばえて来る余地があったのである。大陸との比較において、自分を見ているのである。 世界(中華)の一員たらんと願い望み欲したところで、どうにもならないところにあるのが海にへだてられた「島国」、日本なのである。また、ここに韓国の儒教との違いがあって、そしてまた、これが日本の自意識ともなっている。 |