「自由」


〜3、感覚。


そうした、相手も自分もまた同じ世界の住人だという意味で、お互いをよく知り尽くしているのである。理屈や考えとして知ることはできなくても、心情や情景、お互いの空気として知っているのである。またイヤでも伝わってくるのである。そうした情緒の共有化された世界を生きている。あるいは、理性ではなしに、感覚や情緒としての自分の肉体がそれを知っているのである。こうしたことがこの日本という狭い島の空間を、ずっと生きて来た者同士の感覚といったものなのである。生理や情緒の特質といったものがそうなのである。

だから例えば、何かを意識したり考えたりする言葉以前に、顔の表情やしぐさや目の動き、行動のパターンや作法によってお互いがいったい何を考えているのか、というのがわかってしまうのである。これはまことに仕方のないことであって、そうしたことを誰もが何も意識せずにやっていて、暗黙の了解、明示なき合意、あ・うんの呼吸、以心伝心などと言っている。

日本という社会ではそれが出来ないと誰からも相手にされないし、生きて行けないのである。これはだれもが無意識にやっている常識、不文律、オキテなのである。これが日本という社会の、意識されることもなく、気になるといったこともない、あまりにもフツーで当たり前の日常の世界なのである。それが文化というものなのであって、だからまた、だれにとっても意識されづらく、また理解されるのが難しいものとなっている。

私たちは、そうした意識されざる感覚と情緒の世界を生きている。そうやって数百数千年を同じところで、同じように、同じ者同士が生きて来たのである。それは「島」という閉じた空間の世界なのであって、そうした情緒と感覚の世界を私たちは生きているのである。

もどる。              つづく。