「心情」


〜4、日常。


誰もがみなそうなのである。いつでも、どこでも、どんなときでもそうである。このような状況下でのセクハラの拒絶は、集団としての組織の破綻を意味する。だから、そんな、ものわかりのよくない女子は、だれからも相手にされない。無視される。やっかい者、災いのタネ、空気を読めない人間として、だれからも背を向けられる。

一人ぼっちの孤独な苦しみの中で、和の集団からの離脱を余儀なくされる。これが普通である。日本の中小の零細企業ではそれが当たり前の、当然の、普通の状態である。これは日本の文化なのである。だから、だれもそれが間違っているとは気づかないし、気づこうともしないし、知ってはならないものとして避けるのである。知らぬ顔を続けるのである。それは気づいてはならない事なのである。この社会で生きて行こうとする限り、目を向けてはならない世界なのである。

柔道の監督は懲戒免職にならず、以来退職で終わり、退職金は出る、まるで凱旋将軍である。また、その上の責任者も管理責任を問われることがなかった。全く不思議で理解に苦しむ世界である。誰にも「自分の考え」というのが無い。職場の男は誰も見ず・聞かず・話さずの一点張りである。この人たちは、もともと、みんな共犯者だったのである。精神の奥底で強力に連帯しているのである。どう考えても、この人たち、社会全体が犯罪者集団のように思えてならないのである。他に理解のしようがないのである。

念のために、誤解を避けるために、もう一度念押しします。
これは真実の、ありのままの日本の現実なのであります。零細企業や末端の下請けでは当たり前の常識、痛くも痒くもない、問題にもならない日常の出来事なのである。公然と正々堂々と行われ続けている、ごく普通の日常の風景なのである。

もどる。              つづく。