「思いのまま」
〜2、まぼろし。
現実世界というのが、自分とは別の必然性を持つ客観世界として意識されることがない。自分というのが、自分から見た自分と、他人から見た自分とに区別されることを知らない世界である。ひとことで言って、自分の主観性だけで動いている世界である。 自分自身の原理とか必然性といったものが意識されず、それが他人との関係でもそのまま現れている。他人にもそうしたことを認めることが出来ないのである。つまり、気まぐれと、むき出しの情緒、理由なき移り気だけが支配している。従って、これらを統合する力としては、恐怖と暴力、命令しかない。理性も道徳も言い訳でしかない、精神の内的反省そのものが無いという世界である。 自分自身というのが意識されることがない。その必要も、キッカケも、場面もない世界である。だからこそ、気ままな思い込みと移り気だけで生きて行けるのである。そしてまた、そうやって生きて行くしかない世界なのである。閉じた主観性の思い込みの世界を、グルグルと永遠のにまわり続けるのである。 だからまた、このような世界のなかでは、自己認識・自己意識というのは存在し得ないのである。たとえ幻(マボロシ)のように瞬間的に現れたとしても、すぐにまた、わけもわからずに消えてゆく。そうした客観的精神の拠り所といったものが現実のなかに存在しないのである。そしてまた、それが存在しないからこそ、気まぐれと思い込みだけが支配する世界なのである。そうやって、それが現実として成り立ち継続し続けるのである。 |