「自意識」
〜5、異なる原理。
ところが日本人の場合、自分たちを大陸とは別のものとして見ている。そうした大陸との異質な関係性において自分を意識している。そう捉(とら)えるしかないのである。それ以外のとらえ方が出来ないのである。大陸とは、海でへだてられているのである。仮に、大陸と同じものとしての自分を望んだとしても、それは非現実的な無意味な希望にしかならないのである。 あくまでも、それに同化するといったことがなく、同化することもできず、別のものであり続けるしかないのである。これが、大陸との分離帯としての「海」なのである。大陸とは同じものとしての自己認識は、現実の話として不可能なことだったのである。さらにまた、地理的・空間的にそうであるだけでなく、むしろ、観念的にもそうである。歴史的・文化的、そして心情的にもまたそうなのである。 文字や言葉、宗教や礼儀・作法にいたる、たいていのものを中国から学び、そしてそれを自分のものにして来たのであるが、そしてまた、それを通してしか、自分というのを表現できずにいるにもかかわらず、自分というのが、いつも、それとは別のところに在り続けたのである。 |