「風土」


〜12、外の世界。


このような一体感。等質で均一な絆(きずな)の一体性、同一感、連帯感といったもの。まったく何と言ったらよいのか、そうした思いやりと気づかいが生きている世界。まことに日本特有の、外国ではけっして見られないような、そうした際立つ特徴や特質といったものが支配する世界である。

例えば、察しの美学、空気を読む、以心伝心、あ・うんの呼吸といったもの。まったく、日本のそうした格言といったものは外国人には理解不可能な世界ではないだろうか。それは、コトバをまったく無視して身振りや、目の動き、しぐさだけで、コトバ以上のより高度で包括的なコミュニケーションを成立させているのである。それはまったく、日本人にしか体得も理解も出来ない日本人だけの世界なのである。

まったく、やりきれない。外からの人間が見ると、これほどの不公平、差別待遇はないとさえ言える。自分たちだけの閉じて歪んだ村の世界を生きているのである。外の世界が見えない。見る必要もないし、見ようともしないし、そしてまた、見てはならない世界に生きている。ケイレツとコネと談合がそうである。

同じ時間を、同じ場所で、同じように生きているにもかかわらず、それは日本人同士にしか通用しない。そしてまた、日本人同士の間でのみ、完璧に通用しているコミュニケーション方法なのである。それが共同体としての日本の集団のあり方なのである。たとえ外人が日本人と同じところで同じ現実を生きていても、外人というのは、やはり「外」の世界の住人に過ぎないのである。

それは、ひとめ見ただけではとてもわかりづらいもので、現実の出来事をざっとながめて見ているだけでは、見えて来ないものである。なぜなら、それは、無意識の世界で起こっていることだからである。

もどる。              つづく。