「風土」


~2、同じ。


そしてまた、この島の空間的狭さ、人口過密で、息苦しくなって、窒息してしまいそうだ。シキタリや作法、暗黙の習わし、オキテ・・・。なにから何まで縛りつけられ、シツケられ、枠にはめられ、パターン化される。生きる「型式」に圧力加工される。均質で均一、まるで精神の工業製品化である。

だれもがみな同じ。同じでなければならない。同じでないものが居るはずがないのである。それは、有ってはならないものなのである。これがこの均一社会日本の「質」というものである。「同じである」ということ、これがすべての前提となっている。そうやって社会が成り立ち、維持され、そして続いてきたのである。

「同じ」でないことは、この社会の崩壊を意味する。異質なものを、それとして放置したままで無視できるような、そうした空間的余裕が日本には無いのである。だからまた、同じでなければならず、同じであることをだれもが志向するのである。そうするしかなく、それだけが発展の方向のように思えてくるのである。

こうした社会にとって同じでないことは、社会の前提とその根幹を揺るがす由々しき事態なのである。精神の許容性というのを、現実の空間的狭さが許さないのである。事実、そうしたことが日本の歴史の特徴となっている。それが歴史の進行過程の変わらぬ「型」となっていて、歴史上の出来事の順序や移り変わりの手続きやルールのようにもなっている。

もどる。              つづく。