「風土」
〜4、現実。
あるいは、この世に生まれる前から、もともとそうなのかも知れない。このような生理の作用や肉体の機能の性質をもつものとして生まれてくるのかも知れない。もちろんそれは、数限りない様々な可能性のほんの片鱗としてそうなのであって、あるいは、本人も周りも、それと気付くことのない潜在的なかくれた、ほとんど失われている能力の痕跡でしかないのかも知れない。 しかし、そうしたかすかな痕跡としての可能性が、日本列島の自然条件や社会環境の中で、まるでそれしかないように、それへと導かれ誘われて、そして「型」にはめられ、そして現実のカタチとして現れたのではないだろうか。まるでそれしかないように。そうしてのみ、この社会が成り立ち得たし、そしてまた、受け継がれて行くことが出来たのではないだろうか。 そうしたことが、この島という現実の世界にあって、日本人が生きてきた、そして生きて行くことが出来た現実の「舞台」だったのではないだろうか。まるでそれしかないように。イヤでも仕方なくそれへと導かれ、それしかなく、そしてそのように「型」にはめられシツケられて来たのではないだろうか。 それは避けることも逃げることもできない不可抗力なのである。つまり、それ以外の生きて行く方法というのが無かったか、あるいは非常に困難で制約されたものであって、結局最後には、そのような生き方しか残らなかったということを意味している。事実、このようなタイプの人間だけが残っているというのが現実なのである。現実とは、このような様々な試行錯誤の結果を示しているのである。 |