「風土」
〜5、本能。
日本人は、自分の不幸とか感情というものを、自分だけに終い込もうとする。まわりに気をつかうのである。そしてまた、しまい込むことの出来る民族でもある。だからまた反面、底無しであり、そしてそれの行きつく先としての自殺・心中・集団自殺(玉砕、万歳突撃)として現れることもある。そしてそれは、日本に住む誰にとっても他人事ではないのである。 それは終わりを意味するのであるが、その前に誰かがそれを察して、支えて守ってやらねばならず、そうしないことには社会全体が崩壊してしまうのである。だから、感情を自分だけでしまい込むというのは、まわりの者の思いやりと支えがあってこそなのである。そしてそのようにシツケ(躾)られ、またそれが出来る国民なのである。 だれも表立っては言わないけれども、こうしたことがまた、暗黙の了解事項、もっと正確に言うと、持って生れた無意識の、本能的な衝動になっているのである。この世に生まれる前から、もともとそのように出来ているのである。それは自分自身のなかで情緒とか気質として保存され続けてきたものなのである。あるいは、自分自身の肉体の生理作用や、反復継続される感覚の定形化・最適化として、パターン化・型式化されてきたものなのである。あるいは民族精神のリズムといったものなのかも知れない。 あるいは、そうした感覚や生理の特質といったものが、あらかじめ潜在的な可能性として保存されていて、そして、それが求められる現実の必要の中で、そうした方向へと進んで向かって行くのではないだろうか。まるで卵が殻(から)の中で孵化して、そして外の暖かな心地よい空気に誘われて、殻を破って出てくるように。まるでそれしかないように。あらかじめプログラムでもされていたかのように。 |