「ヨーロッパのの起源(古代ギリシャ)」ー可能性 p2
「仕方がない」
これは、主体としての民族の、内在的な要因であって、
みずからを自分自身で律してゆく、新しい原理の
登場を意味している。条件と可能性が備われば、
すべてがそうなるのではない。重要なことは、
そうせざるを得なかったこと、そうする以外になく、
他に選択の余地が無かった、ということなのである。
可能性としては、ほかにもたくさんあり得たのである。
にもかかわらず、この可能性へと突き進んだのは、
それ以外になく、そうするしかない、なんらかの事情が、
本人の側、つまり、主体としての人間の側にあったと、
推測せざるを得ないのである。
それまでの自分というのは、そしてまた、
自分が拠って立っていた、自分の立場や条件、
生き方や生活といったものは、もはやそのままでは
存続し得なくなっていたのである。それはもはや、
捨てられていて、捨てるしかなく、維持してゆくことが
不可能な状態にあったのである。
それは、すでに捨てられていたのである。
喪失し、見失い、もはや、取り戻すことが出来ない
状態にあったのである。
だからまた、
なにもかもゼロから始めるしか無かったのである。
ということは、どんなことでも成し得たのである。
それ以前の、すべてのオキテから解放されて
しまったのである。と同時に、なにもかも失ったのである。
まことに、致し方なく、そうするしかなかったのである。
戻る。 続く。
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