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もちろん、そんなものが実際に見えるわけがない。たしかにその通りで、それが見えるというのは、肉体の感覚や感受性、情感や揺れ動く心の動きやリズム、そして、それらが統合されてゆく、精神の調和(シンフォニー)として感じられる、ということである。自己の心の持ち方や情緒のあり方として感じられ、そしてまた、見えてもくるという意味である。 それは本能とか直感といった、言い知れぬ衝動の世界を、なにかしら心の中でイメージとして表出している。あるいは、映し出している、ということである。 それは、抑えられない自己の衝動であって、音でも形でも、触れる感触でも、なんでもよい。なんでもよいから、それが記憶として残るような、何らかのカタチとして、心のなかで映し出される必要があったのである。 |