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もっと言えば、目の前のどこにでもあるような、どうでもよいものが、たとえば雲や山や地平線や、それに猫や鳥や、あるいは、風のそよぎや音のささやき等々。 そうした、どこにでもあるようなものが、なにかのはずみや、偶然のかさなりで、何かとっても大切なものに思えてくるのである。突然、何か別世界を見ているように思えてくる、ということである。 それは、ものを透(すか)して精神の世界を見ているのである。ものというカタチのなかにある、観念の世界を通して合理と必然の世界を見ているのである。自分の精神を支配しているのと同じものを、 もののなかに見ているのである。見えてもくるし、また見てしまうのである。これは自分でもどうにもならないことなのである。 |