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15、様々な色。



しかしそれにしても、なぜ赤なのか。赤でなければならないのだろうか?
それは、目的に合った色でなければならないのである。

「緑」は、さしさわりのない、どこにあってもどうでもよい、普通の、なにも変わらないそんな色だ。それでいて、たしかに気分的に落ち着く色でもある。つまり警告の表示にはならない。

「黒」は、暗い闇の色だし、光の加減で見えなくなることもある。それは、実体を持たない、明るさと色を喪失した、ものの影の色である。そして、白も黒も同じ色である。ただ、明るさの加減でそう見えるだけである。すべての色が白に含まれ、すべての色を失くしたのが黒である。だから、白も黒も同じ色であって、ただ見え方の違いがあるに過ぎない。何かの対立と危険を表す色にもならない。

「青」は吸い込まれてゆく。見入って、誘われて、沈み込んで行くような色だ。心が落ち着くし、遠くのなにかに導かれて集中するような、そんな理知的な色だ。そこから自由とか永遠という思いが浮かんでくる。いざなわれて冷静に考え込むような色である。しかしこの場合、考えてはならない色が求められている。考える以前の本能的で衝動的な、そんな無意識の直感的で感情的な色が求められている。

「黄色」は、悩ましい。疲れるし、やりきれない。わずらわしく、めんどくさい。そして、執拗でイヤラシイ。執拗ではあるがムリヤリ迫って来たり、また目立つような色でもない。

「白色」は、シンプルで、すべての色を含む普遍的な色だ。何かの標識、目印しとしては、それだけでは不向きである。しかしまたそれゆえに、背景や生地・下地となりうるのである。あるいはすべてを包み込む共通で一般的な普遍的な色となっている。従って、基になる下地の色はこの「白」でなければならない。

「赤色」は、残虐、危険、窮迫、そしてなによりも感情的な色である。理知的でも情緒的でもなく、動揺と決断が繰り返し迫っている。悩んだり考えたりする余裕などない。理性と情緒が破裂して、そしてそれを無視して行動を迫っている、そんな印象と象徴の世界である。

戻る。            続く。

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