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すべてがあいまいで、どっちつかずなのである。そしてそれが最後に一つにまとまる。そしてその時には反対意見というのは、ほとんどというよりも、まったくないのである。むしろ、反対意見というのが絶対的に許されず、それが物言わぬ絶対的な「戒律」として人間を支配している。これが日本のタブー、暗黙の了解、シキタリ、オキテ、サダメなのである。 こうしたあいまいさ、優柔不断、意志表示の不明瞭さ、自分の考えというのを、そのままはっきり言わない。もしかすると、本当に自分の考えというのを持たないのかも知れないし、もともと、そういうのが無いのかも知れない。心の中に、そういう「入れもの」がないのかも知れない。 いつでもどこでも、どんなときでも、周囲に向かってそれとなく暗示し、示唆し、摩擦を起こさず、少しづつ集団としての合意を取りまとめてゆく。それは感情とか思考の意志のぶつかり合いというよりも、むしろより深いところにある、情緒的な雰囲気の交流にによって、最終的な意思決定がなされる。言葉でななくて、しぐさや雰囲気、気分や情緒でおたがいが直接にコミュニケーションをしている。 例えば、論理とか理屈であらそったりしない。そんなことをしても周囲のだれもがそっぽをむく。むしろ、身振りとか仕草、目配せ、顔の表情などが、はるかに重要な意味をもつ。コトバなどよりも、身ぶり素ぶりの雰囲気でもって、お互いのコミュニケーションがはかられているのである。確かに、ある意味では、この方がもっと正直である。 |