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13 共有意識。



それは、尊重し理解する以前に共通の共有意識、無言のコトバ以前の了解事項として、無意識のうちに了解し合っているのである。そしてこれを「尊重」するとか「理解」すると言っているのである。これは誤解であり勘違いなのである。

これは、尊重する以前に自己を放棄している。そしてまた相手をも無視している。自分の考えや信じるもののないところに相手の尊重などあり得ないのである。

しかし確かに「信じるもの」というのがある。だからこうしたことが出来るのである。しかしこの「信じる」というのが、自分自身の心や精神以外のところから来ている。要するに、群れているのである。まわりのみんなの心情や気分や気持ちといったものが優先されているのである。群れて、媚びて、迎合しているだけなのである。

自分の考えや意見や信条というものを持たず、ただ「群れている」のである。そして実はこのみんなという群れる意志が、自分自身の自意識となっているのである。自分が信じるもの、尊重するもの、了解し納得するものとなっているのである。

ただたんに、みんなという集団の意志によってそう思わされている。、または、思い込んでいるというだけのことなのである。ここには自分自身の意志もなければ、信じるものといったものも存在しない。もちろん自由もなければ、自分自身というのも存在しない。

戻る。            続く。

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