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自意識、自己認識、自己の存在理由などといったものが、なんら固定することなしに、様々な異なる宗教の間を行ったり来たりして、漂いながらウロつき回っている。これはもはや宗教といえるものではない。自意識とも、信仰とも言えるものではない。 では、宗教を通して自分たちというのが、何ら信じるものがないのかというと、そうでもない。たぶん、信仰のない社会とか人間というのは、存在しないのだろう。たとえ犯罪者といえども、何かしら多少とも自分に信じるところがあるのではないだろうか。 つまり、日本では宗教以前のところで、それらすべてを含めて包み込み、土台となしているところの、より根本的で基になる宗教があって、そしてその上で、それを土台にして様々な異なる宗教同士が成り立ち共存し、認められ、機能しているのである。 そしてこの根本的で、あまねくすべての宗教の土台をなしているのが、言いかえると「人間」崇拝であって、より直接的に言うと日本崇拝であって、日本人にとって自分とはすなわち日本人なのであって、そしてまた日本人でないというのは人間ではないということなのである。あるいは、少なくとも、かかわってはならない者、ヨソ者だということである。 だからまた、この囲いの中でこそ、そしてこの範囲の中においてこそ、すべてのあまねく様々な宗教が共存しうるのである。信仰や意識以前に、このような気分や情緒といったものが人々を支配し動かしているのである。そしてまた、これが自分たちにとっての「信じるもの」となっているのである。自意識の根源を成しているのである。 |
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