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18 共有意識。



これは無意識の情緒の世界であって、日本人はこれを「空気」とか雰囲気などといって、自己の自意識の世界をうまく表現している。つまり、コトバとか理屈は不要なのである。それ以前の目の動きとか気配い、しぐさや身振り素振り、そして全体としての感じ方や気分のあり方にそれがよく現れている。

そしてこのような気分や「空気」の中にこそ、もの言わぬ考えや感じ方、求めるものといったものが暗に示され、示唆され、符号や何かの合図やサインのように現れているのである。要するに、これに気づかない人間は日本人ではないし、同じ人間または同族として相手にされないということである。ヨソ者としてみなされ無視されるということである。

外見や表面上の宗教や信条、信仰などよりも、そうした同じ日本人としての同質性、共通する情緒の共有こそが本質的に重視されるのである。これからすると、宗教や思想の違いなどといったことは、どうでもよい、なんとでもなる、何ら差し支えのない事柄に過ぎないのである。

信仰や思想以前のところですでに結びついているのである。したがってまた、これを失うということは、もはや人間でも日本人でも無くなるということを意味している。だから誰もが、そして何よりもこの「日本人」でなくなるということを恐れる。

戻る。            続く。

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