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5 信仰。



お互いに相手をとことん追い詰めたりしないのである。また深く立ち入ることもしない。世界で見るフツーの宗教の常識からすると考えられない決着の仕方である。この「丁未の乱・587年」以降、日本では戦争といえるような宗教紛争は起こっていない。排除することも、隔離することも、島から追い出すといったこともない。仲良く共存している。

宗教は心の問題であり、心の中に立ち入らざるを得ないものなのである。そしてしかし、こうしたことを日本ではだれもが避ける、嫌がる、忌み嫌う。だからまた、宗教そのものが根付くということがない。

どのように考えてみても、上辺だけの表面的なもののように思えてくる。大陸における宗教とはどこか根本的に違うのである。すべてが、何もかもが自分たちという、大陸と違うものとして自己完結し、そして閉じた世界というのが無意識の根底にあるように思えてくるのである。

宗教以前の自意識・自己認識として、これが基になっている。それが前提になっていて、宗教や生き方、考え方の根本にあって、それを規制している。現実とは、こうした自己と世界とのかかわり方のことであって、それは同時に、このような現実を離れた所に、このような自意識というのが成り立たないということを意味している。

戻る。            続く。

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