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今日の日本では結婚式に神前・キリスト式・仏式を同時にこなすことが珍しくない。それが意味するところの信仰などといったことは、どうでもよい、関係のないタテマエにすぎないのである。 七五三で神社に詣で、クリスマスでキリストを敬い、葬式に仏教で見送る。これはどう見ても宗教とはいいがたいものである。なにやらワケの分からない形式的なイベント、上辺だけの飾りに過ぎないのである。 日本では宗教の違いによる争いが皆無なのも、ここに理由がある。だれも本気で宗教を信じていないのである。あるいは、宗教そのものがないと言えなくもないのである。むしろ、無意識の世界での「人間」=日本人=日本列島ということが、宗教以前の「自分たち」という信仰になっている。 「自分たち」こそが自分であり、自分とは日本人のことなのである。そして日本人こそが日本人にとっての人間なのである。人間とは、自分たち日本人のことであり、それ以外は、自分たちとは何の関係もない、ヨソ者・部外者過ぎないのである。 またそうした本能的な自意識が、自分ないし「自分たち」のアイデンティティー、自分たちの存在理由、生きている意味となっている。ここから離れたところに日本人は存在しない。ここから離れることは、誰にとっても、何よりも恐ろしいことなのである。 |
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