index < 日誌 < ap理由。< 「見えるもの」p8 |
もしも、なにかを意識して見ている場合、それは意識が先行していて、それを印象する特徴的なカタチや色を、まずさがして見ようとする。それはすでに自分の記憶の中にあるもので、それを手がかりにして、なにかをさがし、見つけようとしているのである。自分でも気づくことなく、そうした無意識の記憶の世界が優先している。 反対に、なにも意図せずに見ている場合、それは、無意識の感覚が先行していて、色やカタチや特徴などといったものは、どうでもよいものとして、たんに表面だけを見ている。内実とか質的な違いが問われることがない。むしろ、外面的、表面的なものにとどまっている。それで十分であって、それ以上のことは求められない。ただなにげなしに見ているのである。 それが何かの意味を持つのは、それを見ている人が何かを意図しているか、意識している場合であって、そうした関係で、ものに意味が生まれてくる。そしてまた、自分にとっての目的とか理由といったものが意識され理解もされてくる。思い込み、偏見、見当違いといった、人間の気まぐれや思い込みが入ってくる。しかしまた、そうやって人間関係といったものが出来上げってくる。習慣や秩序やシキタリ、そしてまた法律や正義や道徳といった、人間の観念の世界もまたそうである。 |