index < 日誌 < ap理由。< 「見えるもの」p8 |
見たものを見ていないと思い込んだり、無いものを有るとむりに思い込んだり、「そうでなければならない」という妄想が確信になったり、ただのものかげが、人のシルエットに見えてきたりもする。 思い込みの「見え方」というものが、人間の考え方を支配していって、限りなく幻覚に近いものになってゆく。そしてそれは意識のなかで、迷信となって固まってゆく。シキタリとか習慣、常識といったものがそうである・・・などと考えるは、まったくの誤解であり、それこそが偏見というものである。 なぜなら偏見というのはもっと社会的で集団的で、偏見自体がそれぞれにとっての利害関係に直接結びついているからである。自分の居場所や立場、損得や妥算の計算がその根底にあるからである。そうした、利害の関係が偏見を作り出しているのである。 それは自分にとって、より現実的な生存のための必要に基づいている。そして、それが本人とってみれば、まさに正義なのである。そしてまた必然であり、存在のための必要条件なのである。だからまた、そこから出て行くということが出来ないのである。または、出て行ってはならないのである。それは、人間社会に生きている者にとっては、許されないことなのである。 |