index < 日誌 < y肉体。< 「続、生物的映像」p7 |
また、少し異なるが、それは身体の動きについても、よく似たことがいえるのである。それは、たとえば水泳などの全身運動が、身体に気持ち良いのと同じであり、また、そうした動作というのが、それを見る者にとっても美しく感じられる、というのがそれである。それは肉体の筋肉の生理作用のバランスであり、調和なのであって、それが姿や形、動きやリズムとなって現れていて、それが見る者にとっても、美しく気持ちの良いものとして感じられてしまうのである。 例えば、その典型的な例が、古代の躍動する裸の彫刻などがそうである。それは、それを見る者をして、自分もまた、そのように感じてしまう。それは、それ自体が、自分の中にも同じものがあるからであって、そしてそれを通して感じているのである。感じることが出来るものが、自分の中のどこかにあるからである。それなしには、感じることなどできないのである。 それは、自分自身の肉体がもともと持っている固有のバランスであり、リズムであり、生理作用の特徴であり、そしてまた、それをひとことで言えば、「種」としての同一性がそれをもたらしているのである。自分の中にも同じものを感じてしまう、ということなのである。そうしたことが、自分自身の生理作用のリズムでもって感じられているのである。自分が実際に経験したことがないにもかかわらず、自分の中の情緒でもって、直感的・本能的にそれと感じ取っているのである。 |
index < 日誌 < y肉体。< 「続、生物的映像」p7