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視覚自体が視覚そのものを、とっても気持ちよく感じている。なぜかうれしく感じられる、そうした気分や気持ちの状態である。それは、感情とか思考といった何かを意識している状態ではない。そしてまた、痛いとか冷たい柔らかいといった、純粋の外の世界の印象でもなくて、あるいはまた、何かが見える見えないといった、そうした純粋に物理的で無機的な印象でもない。 それはつまり、自分の意識と感覚の間に、それとは別の何か他のものが入って来ている。自分の視覚のなかに、なにか別の視覚が入ってきていて、それを通して世界を見ている。あるいは、世界というのがそこだけが、ときおり異質な空気につつまれていて、この異質な空気のなかで、自分と世界がかかわり合っている、そんな状態である。 だからこれは、対象を失った心理状態、意識されることのない感覚の、孤独で自閉的な独自の生理作用、とでもいったものである。だから相手も、理由も不明のままで、なにかにひかれ、目的も意図もないのに、うれしくなったり、ほかのことが、すべてがもはやどうでもよくなって、自分というのが何かにつつまれて、どっぷりと漬かっていて、ただただ気持ちよく思えてくるのである。意識があいまいで、神経と感覚が鈍くなって行く、そういう状態である。 そうしたことは視覚に限らず、すべての感覚についても同じように言えることであって、それはむしろ、五感のそうした錯綜し、入り乱れ困惑したアンサンブルの結果といえるものなのである。 |
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