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いづれにしても、現実の暮らしのなかで、それらが私たちに大きく影響していて、私たちを制約し、規制し、方向づけている。感覚の意識せざる条件的反射とか、最適化された生理作用の特性として、それらが自分自身のカラダの中で生きている。すでに出来上がっている、感じ方のパターンとか、その「型」として。そして、それが感覚を支配している。だとすれば、それはやはり、祖先から受け継がれた「肉体の記憶」とでもいうしかないものなのである。肉体的特徴というよりも、自分自身の中で宿っている、意識されざる生理作用の指向性とでもいったものなのである。 日本語で言うところの「場の空気」、自分の周りを支配するその場面場面の雰囲気とでもいったものである。それは個人では抗しえない、非常に大きな強制力として、自分の周りを支配していて、無言の圧力、暗黙のオキテとして、すべての場面を支配して君臨している。それは、言葉とか理屈で理解されるものではなく、自分の情緒とか雰囲気で、自分の肌に触れる空気の感触として、理解され、同意し、納得されるものなのである。 |